アジアスケッチ旅行

アジアスケッチ旅行 2005年

Asia Wave 2005 1月号-12月号に掲載

メコン川   タイ・シーチェンマイにて

メコン川対岸にラオスの首都ビエンチャンの街並を望むここはタイ東北部に位置する小さな小さな田舍町。対岸にはラオスの首都であるビエンチャンの街並を望むことができる。
夕闇追る頃、辺りからは炊事の音や行き交うボートのモーター音、子供達の遊ぶ声などが聞こえてきて私はしみじみとした気分に浸っていた。
空が完全に真っ暗になってからゲストハウス併設のレストランで食事を楽しんだが、国境を眺めながらの味はまた格別であった。

カンボジア・タイ国境ゲート   カンボジア・ポイペトにて

カンボジア・タイ国境ゲート国境ゲートすぐ近くには立派なカジノがいくつかあり、裕福そうな人達で賑わっている。それと対照的に路上には黙って手を差し出しお金をせびる数多くの子供達。
私が地べたに座りカンボジア側のゲートを描き出すとあちこちからはだしの子らが集まって来た。20人位いただろうか、私を取り囲むようにして絵を覗き込むので風景が見えずに困ってしまった。どいてもらってもすぐ別の子が来て前をふさいでしまう。そんなことを繰り返しながらようやく描き上げた。ほんのひとときの間、彼らは私が絵を描いているのを見て楽しんでいるようだった。明るい笑顔と笑い声が印象に残っている。

サンセット ショー   マレーシア・ペナン島ジョージタウンにて

ペナン島ジョージタウンにて暮れゆく空と紅色に染まる海夕方になると暮れゆく空と紅色に染まる海を眺めに多くの人がやって来る。遊歩道になっているここは絶好のロケーションであり地元の人と観光客で賑わっている。
私がスケッチしている時クウェートから家族と共に観光で来たという御夫人が話しかけてきた。「この絵は売るのですか、想い出に買いたいのですが」売るための絵でなく私自身想い出に描いていることを説明すると納得してくれた。そして「私も旅行者です、私は日本人ですよ」と言ったら彼女は一瞬驚いた後嬉しそうに徴笑んだ。
それからしばらくの間彼女は私の絵と景色を交互にじっと見つめていた。胸に焼き付けるように。

上海駅北口   中国・上海にて

上海駅北口数年ぶりに訪れた上海の町はすっかり近代的な町に変わっていた。馴染みの店も見当たらずあまりの変わりように驚きを隠すことができなかった。しかしまだ再開発が進んでいない上海駅の北口に拡がるエリアは雜然とした雰囲気の中での活気ある庶民の生活が感じられる上海では数少ない場所かもしれない。
冷たい風が吹くなか私は迷路のようなこのエリアを無闇に歩き、道に迷い、道を訊ね、地元の人との雑談を楽しんだ。歩きつかれて点心を食べ空腹になっていた胃を満たし満足した。
ここでは音が印象に残っている。人を掻き分けて通る自転車のべルの音や物売りの声、道端に面した厨房で調理する音や世間話をする住民の声が。

クロントゥーイ港   タイ・バンコクにて

クロントゥーイ港タグボートにひかれ巨大な船がゆっくりと水面を移行してゆく。遠くには何艘もの船が停泊している。
タイ湾からチャオプラヤー川を遡ることおよそ20km。バンコクの市街地に程近い場所に位置するこの港はタイの産業を支える最も重要な施設の一つであろう。 周辺の道路は大型トラックが引っ切り無しに通り騷々しい。
あるおだやかな日の午後のこと。私は港の風景を見ようと思い港湾施設の敷地内に入って川のそばまで足を運んだ。スケッチを始め、気が付くと私のそばでは近所の住民だろうか足を伸ばして横になり気持ちよさそうに昼寝している。その近くには犬が数匹やはり気持ち良さそうに寝ていた。

素朴な村   タイ・メーサロンにて

メーサロン、山間の村幹線道路からかなり離れた山あいにその村はあった。タイ最北のチェンラーイ県に位置し、ミャンマーのシャン州はすぐそこだと地元の人は言った。
ここはタイでありながらタイ文字よりも漢字を目にすることのほうが多い。ゲストハウスの看板や食堂のメニューでも漢字が目立つ。商店の品揃えを見ると中国からの輪入品が多い。村の人達の会話も字を書く時も中国語が普通に使われているようだった。
その昔、中国国民党軍の残党が雲南地方から南下しビルマを経てこの地に隠れ住んでいたという。時が過ぎ現在はタイ国籍の彼らだが雲南地方の生活習慣は変わらないようだった。
少し肌寒い中で飲んだ熱い中国茶と市場で買って食べた野菜入りの中華饅頭の味は絶品だった。

中央郵便局   マレーシア・クアラルンプールにて

クアラルンプールの中央郵便局何処か列車で行ける近くて知らない所へ、と思い歩いて駅へ向かった。
その途中マレーシア郵便のマークが目に付き、真っ白いシンプルなビルの美しさに心惹かれた私は鞄からスケッチ用具を取り出した。だが描く場所がなかなか決まらず周辺をあちこち歩き回り腰を落ち着けた頃にはそれだけで少し疲れてしまった。陽射しが強烈で帽子を被っていてもぐったりしてくる。筆を置いた時には内心ほっとしたものだ。達成感と解放感とで。
この後エアコンの効いた郵便局内でしばらく涼んでから駅に行き、近郊電車に乗り込んで終点で下車した。目の前には海が見渡せた。

生鮮市場近くの寺   ミャンマー・タチレイにて

タチレイの寺タイからミャンマーに入国した私は食料品を扱う地元の人のための市場へ向かった。
舗装されていない路地にあらゆる食品が所狭しと並べられている。大勢の客でごった返し活気が漲っていて雰囲気を味わうだけでも楽しいものだ。
市場から寺の屋根の先端が見える。すぐ近くに寺があり、露店をひと通り見て廻ったあとその寺の境内に足を踏み入れた。絵を描きたくなって階段のある所に行き腰掛けてスケッチを始めた。しばらくして小さい少年僧が三人私の絵を見に来た。 興味津津のようだ。
時が経つにつれいつの間にか青年僧、少年僧総勢二十人位私の周りに集まっていた。言葉はほとんど通じなかったがそれでも会語を楽しみながら過ごした。
描き終わり「それじゃまたね」と言って門の前まで来た。振り返ると皆笑顔で手を振ってくれている。私も大きく手を振ってゆっくりとその場を離れた。

国境の川   ミャンマー・ミャワディーにて

国境の川川沿いに建つ粗末な造りのレストランで私は食事をしながら目の前を流れる川をのんびり眺めていた。
対岸はタイである。近くには大きくて立派な橋が架かっていて出入国手続きはその橋を通らなければならない。しかし地元のミャンマー人は川の中に入って越境している者もいる。手続きせずにいいのだろうかと思ったが彼らは堂々と渡っていた。
店の真下の河原では山羊の親子が散歩し、そのそばでは犬が三匹元気に駆け回っているのが見えた。店の中では放し飼いの鳥が数羽右往左往していた。
長閑な光景と料理の味を楽しんでいるうちに太陽が傾いてきたので、私は慌てて店を出てイミグレーションが閉まる前に急いで橋を渡ってタイへ入国した。

ラムカムヘン地区のスタジアム   タイ・バンコクにて

ラジャマンガラスタジアムいつもタイ人の若者でごった返しているバンコク郊外のラムカムヘン地区。私はこの日二十円もしない料金一律の市内バスに乗ってあてのない小旅行を楽しんでいた。
車内から目に付いたのがフアマーク競技場内にあるラジャマンガラスタジアム。スケッチしようと思い下車して近くまで足を運んだ。描く場所を求めて探し回ったがなかなか落ち着ける所がない。仕方なく広場にあったプランターに寄り掛かり描き始めることにした。しばらくして夕方になると敷地内はスポーツに興じる人達で一杯になっていた。私の目の前にはサッカーを楽しむグループがいてとても賑やかだ。私は絵を描きながらボールの行方を目で追いゲームを楽しんでいた。

ひとときのスコール   タイ・バンコクにて

スコール良く晴れた日に部屋で一人寛いでいた時のこと。
窓から差し込む太陽の光が急に弱まったのでべランダに出て空を仰ぎ見ると西の方からダークグレーの雲のかたまりが迫ってくるのが見えた。
ひんやりとした空気が徐々に辺りを包み気持ち良くべランダから外を眺めていると、雨は突然矢の様に降ってきた。叩きつける雨。凄まじい飛沫に慌てて部屋の中に避難した。雨は激しさを増す一方であり、雷も引っ切りなしに轟いている。この際スコールの絵でも描いておこうかと思い立ち急いでスケッチを始めた。
一時間程経った頃だろうか、雨雲は過ぎ去り、今までの雷雨は幻だったのではないか、と思える位の青空が上空に拡がっていた。
まただんだん暑くなって来た。

ワット・プラタート・ハリプンチャイ   タイ・ランプーンにて

ワット・プラタート・ハリプンチャイタイ北部を旅していた私はその日チェンマイにいた。二十一時五〇分発バンコク行きの夜行列車に乗る日だった。昼間は時間が有り余っているのでチェンマイ県の隣、ランプーン県にでも行ってみようと思い立った。
ワローロット市場の前からソンテウと呼ばれる乗り合い小型トラックに乗って三十分ほど揺られるとランプーン市街に到着した。先ずは町中を散策。歩いて見所をひと通り見て回れる小さい町だった。
市場の食堂で腹拵えしてから町の中心にあるワット・プラタート・ハリプンチャイという寺院に向かった。中に入り境内を一周したが容赦なく照り付ける陽射しに堪らず、日陰になっている階段に腰掛け休息した。少し休んでからスケッチを始め、しばらくして前を通り掛ったお坊さんが私の姿を見てうん、うんと領き、私が会釈するとにこっと微笑んだ。